表現と差別、障害者

障害を持つその人は、大学進学を志し、養護学校を卒業後一般高校に行った。

特定の教科に多少は不自由したものの、他部分を完璧にまでやって標準以上を取り、本志望は落としたものの大学に進学する。
友人関係も特に問題無く、仲の良い友人が結構できたと語る。
その人は実に高校生活は楽しかったと色々話してくれたが、しかし別のときに差別語の話が出て、そこで淡々と高校時代の経験を述べたのが大変印象的だった。


「親友と廊下を歩いていたとき、向こうから来た何人かの生徒にすれ違った時何か言われたんだ。」「すると親友がいきなり突っかかった。喧嘩を起こしたくないので抑えたが、今度は親友から『なぜ抑えたんだ』と言われた。」
「聞いてみると『通りがかりに差別語吐きやがったんだよ。怒って当然だろ』と。そういうことが幾度もあった。そういう時代だった。」


10年前に聞いた、ある恩師の話である。そういう時代とは1970年代前半、遠くない過去。
それなりの進学校で、学生運動の薫りすらまだあったその場所でこの扱い。地方などでは後ろ指を指されるのも珍しくは無かったであろう。


似たような経緯を辿った私ではそういうことは無かった、と思う。ただ、ある程度人との距離を置いていたので届かなかっただけかもしれない。それ以上に恩師が話した時代からの変化もあるだろう。


だが何故?そういう時代と今、どこが違う?そしてその理由は?何故その時彼らは差別語を使用し今は使わないのか?




あの時代はまだ差別語が無意識に、あるいは悪意を持って使われていた。テレビ・ラジオ・新聞はそこまで露骨では無いにしても小説、大衆向け読み物、日常会話その他など…。通りがかった彼らはおそらくそこで知識を得、からかい半分に、あるいは妬みをもってつぶやいたのだろうか。


恩師は上の言葉以上のことは何も述べなかった。その後どうしたのか、どう思ったのかも一度も言わず、また聞いていた我々も特に深く聞こうとは思わなかったが、心のしこりとしてしっかりと記憶している。


そして差別語は時代とともに減っていった。障害者が原則として養護学校に行き見かけることが減った(良いかどうかは別として)。またよくある人権標語もほんの少しは役立ったかもしれない。
だが何よりも効果があったのは、無意識な差別語が出るたびに行われた抗議ではなかったか。無意識に出たその言葉に抗議をし、問題意識を提起し、徹底的に戦ってゆく、たとえ「言葉狩り」と言われようとも。


今現在、差別が無くなったとも、恩師が遭った状況が無くなったとも言えないが、40年前よりはましにはなった、言えるのはそれだけだろうか。少なくとも差別語が情報媒体から消えていった結果、無意識に使われることは減ったとは思う。




日垣隆氏は、個人的には論者としてはどうかと思うが、差別語と表現に対する姿(実態はともかく)は真摯である。


http://homepage2.nifty.com/higakitakashi/ref/ref42.html

抗議をする人々は、迂闊に使う者が許せないだけなのです。


この前の方言辞典にしても同じである。何も考慮されること無くただ載せられる、というのは差別構造の温存以外のなにものでもない。手元にあった携帯用アプリの辞典でも特に有名な差別語に関してはしっかりと注意書きがある。


http://b.hatena.ne.jp/entry/aromablack5310.blog77.fc2.com/blog-entry-7899.html

差別語をめぐっては、その言葉を使う人間の感性、 相手との距離感、その問題に対する理解力が問われるのです。


表現の自由の侵害、言葉狩りなどという人にぜひ問いたい。その言葉は、その表現は、その作品は、どれだけ真摯であるのだ?と。その問題の本質を幾ばくかでも理解しているのか?と。
本当に真摯なものに対して、障害者がそうそう抗議することは無い。大きく抗議するのは、無意識に、あるいは悪意を持って使われたときである。


「差別語に対する抗議は差別問題の本質を見にくくする」といわれることもあった。あるいはテレビでの自主規制の問題。出版問題。もちろんそれが仕方なかったわけではないし、ある面では上の言葉も正しいだろう。

しかし本質をこれまで考えてこなかったのは、考えるべきなのはどちらだろうか。

それは差別する側であって、される側ではない。言う側であって、言われる側ではない。表現する側であって、表現される側ではない。抗議される側であって、抗議する側ではない。
差別される側にとっての問題の本質とは、日々の現実そのものであるのだから。




憲法には「法の下の平等」そして「表現の自由」がある。だが現実において差別がある以上、その自由は絶えず平等性と緊張を帯び、時として―ムハンマド肖像画事件、BBCでの同性愛事件、テレビの自主規制、出版問題など―衝突する。

差別語やその関連表現、いやその他すべての表現も程度の差はあれ類似関係にある。(かつてのメッキ表現など)
その中でもグレーゾーンである差別語とその関連表現に関しては、その使用の是非だけでなく文脈での意味・作品の中での位置づけ・現実での状況と対応やそれに対する影響・表現する側と表現される側の立場の関係・議論の持つ意味自体、も問われる、そういう多方面からの極度の緊張関係に置かれている―少なくとも一律に自由・規制があったり、軽々しく放言されることは是でないことは明白であろう―。


一方に近代人権思想としての「法の下の平等」等を掲げる論理体系が存在し、他方から「差別」の存在する現実が相克するとき、その間に位置する「自由」は「何の」だけではなく「誰にとっての」「誰に対しての」という問題が発生する。
詳しい知識は無いので深くは述べないが、しかし不断に考えるべき問題であるはずだ。


現状がまともとも、差別がなくなくなるとも思ってはいないが、しかし平等という求める先への道のりが過酷だからといって、後戻りすることは―過去の苦難と命の歴史を知った以上―絶対にできない。前進することを疑うな、とは思わないが、過去と現在を比較し何が状況を変えたのかを、最低でも理解すべきだ。

そして障害とは、実に身近だ。年を取ればそれだけかかりやすくなる。ゆっくりと、見えない、あるいは感じないところで進行することもある。あるいは道端を歩いていて事故が起きたとき。何気ない一言によって精神を突き崩されるとき。あるいは普通に暮らしていた次の日の朝、起きた時に―冗談ではなく本当に―障害者になっている可能性。
自身がマジョリティからマイノリティになる可能性は、すぐそこに存在する。そうなっても、以前と同じ認識を、同じ発言を、同じ行動をとり続けられるのか?

そうなった一人として、私は世へ問うていくだろう。それが今現在も戦い続けている恩師への、偽善的ながらささやかな助けだと思っている。