無題
http://d.hatena.ne.jp/aminisi/20091211/1260503838
いまさら言及するのもなんだかと思ったが、まあ自分の過去が過去だったし一応書いておこうかな。
曽野綾子とか渡辺淳一とかのどうしようもない「自衛論」については他の人に譲るとして、そこでの表現論(「男は獣」とか「獣は檻に」)でちょっと議論しましたが、実際のところそれが正しいか否かとか予防拘禁の恐れがあるとかまったく興味がありません。
「予防拘禁のおそれがある」とかいうなら「そこには敏感に反応するのに、今まで予防拘禁されていた人たちに対してはえらい鈍感ですね」とでも皮肉ればよいだけですから。
本題に戻ると、なぜ今「男は獣」に対して「獣は檻に」としたのか、いや、そうしてでも伝えるべきだったかといいますと、
抑圧されたものが、その抑圧の重さゆえに声を荒げるのは、無理からぬことだ。ところが、それを理解できない多くの人々は、物事はどんな場合でも理性的な話し合いで解決されるべきだという原則を譲らない。
(http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20091212/1260629555より引用、元は「差別と日本人(角川oneテーマ21)」)
「抑圧されたものが、その抑圧の重さゆえに声を荒げるのは、無理からぬことだ。」
これがすべてでしょう。声を荒げようと、予防拘禁だ悪手だと非難されようと、伝えるべきことは伝えるべきなのです。「下手するとあんたらも同じ運命をたどるのだ」。
差別が不条理で暴力的である以上、解決においても「理性的な話し合い」で解決することなどありえません。それは身体的・法制的などの実物面だけでなく社会的・言語的な精神面においても同じです。
他の被差別者に飛び火する、などと思われるならば私はこういいます。「そのような被差別者もともに立ち上がれ!」と。
以下aminisi氏へのお答え
(1)別に飛び火しても問題ないでしょう。どういう意見があるかということを知るのは大変有益ですからね
(2)広く知らしめることは目的ではありません。差別を徹底的に糾弾することが第一です。誤解や脱線はこれだけエントリーがあるなら意図的にそうしているか、あるいは実感しなければ無理、と判断して結構でしょう
(3)これは上記のとおり。まあ「荒げすぎる」のはたしなめるべきですがそのような言説は皆無ですし無視してよいでしょう
最後にもっとも戦闘的な黒人指導者であったマルコムXの言葉を。
「自衛のための暴力を、私は知性と呼ぶ」